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最初で最益の視察

会長のたわごと


私の知る限り、これほどまでにライバルである同業者に対して、視察受け入れなど情報公開に寛容な業界は珍しい気がします。
弊社にもここ1ヵ月だけで、県外から視察(ベンチマーク)に来られた同業者さんは、約18社45名になります。
しかし、この傾向が顕著になったのは、ここ10年余りのことです。それまでは他の業界と同じく、FCチェーンや協会など特定のグループや勉強会メンバーに限定された活動でした。

弊社自体も他業者へのベンチマークは、かなりの数になりますが、弊社がした第一号のベンチマークは、約30年ほど前にさかのぼります。
当時の弊社は発足3年過ぎの会社で、ミニ分譲宅地など売買中心の業態でした。
大阪のディベロッパー勤務時代の経験を生かして、郷里松山でスタートしたものの、「金ない、信用ない、経験乏しい・・」30歳そこそこの若造にとって、それほど甘い世界ではありませんでした。
総勢5~6名しかいない社員の給与の支払いも、毎月心配しなければならない苦しい経営が続いていました。

そんな時、業界新聞に「これからの中小不動産会社は、賃貸事業で飛躍できる時代・・」というよな記事を見つけました。それは、東京の新宿に本社のある賃貸管理会社社長のインタビューでした。
この人にお会いしたいという衝動にかられ、縁もゆかりもなく、何のつても無いまま、“押しかけ訪問”前日に愛媛みかん一箱と手紙を添えて郵送しただけでした。

当時としては、現在のようにベンチマーク訪問などという概念も習慣なく、特にノウハウや情報公開には閉鎖的な業界でしたので、まったく無謀な賭けでした。ところが、ぶしつけな私の行為に対し、わざわざ時間を空けて待っていてくださったのです。
そして、惜しげもなく自社の契約書類やその他資料を公開し、色々なアドバイスをしてくれました。
『これからの時代、開発型の事業よりも、ストック型の事業が不動産業の主流になる・・特にエリアや人口に限りがある地方都市においてはなおさら・・・例えて言うなら、「狩猟型」の開発事業より、「農耕型」の賃貸事業です・・』
この言葉が私に、賃貸事業へ方向転換をする勇気を与えてくれました。
もし、あのまま狩猟型に固執していれば、現在の弊社は存在していなかったでしょう!
その意味で、弊社にとって「最初」で「最益」のベンチマークでした。

その人の他界を、1ヶ月以上経って知りました。癌を患い、不動産業界を離れて療養中でした。日本賃貸管理業協会発足時の立役者であり、業界活動の功績で勲章も授与された人でしたが、家族葬を望まれたそうです。
共通の知人の案内で、神奈川のご自宅まで御焼香に行かせていただきました。

あの時、深く胸に刻んだ感謝、それがご縁で長年のお付き合い・・本当にありがとうございました。
・・・・・・・・心よりご冥福をお祈りいたします。

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