お知らせ
清濁飲む経営
数年前に、東北地方のある建設会社X社でおきた出来事です。
当時X社は、建設業から賃貸管理業務へも進出しようとしていた時期でした。
そんなある日、不動産業Y社で働いている一人の役職が、内密でX社へ転職を希望してきました。
そのY社は、賃貸斡旋の老舗であり、X社が習得ようとしている多くを既に持っている不動産会社でした。
X社としては、彼の持っている賃貸業務の知識や経験を魅力に感じたのは言うまでもありません。X社は、賃貸部署の役職という厚遇で迎え入れました。
入社後は、それなりの能力を発揮し賃貸部署の責任者として、幹部会でも皆から意見を求められる立場になりました。
数年が経過した頃、その地方に大手Z社が進出してきました。
地元を唯一の商圏にしているX社としては、大手Z社の進出は脅威でした。
X社としては、何度も幹部会を開き、Z社対策の協議を重ねました。
ところが、不思議なことが起き始めました。
X社の幹部会での決定事項が、数日を経ない内にZ社が認知しているという不可解な現象です。
その謎は、数ヶ月後に解けることになりました。
賃貸部責任者の彼は、X社を突然退職し、そのまま大手Z社へ転職したのです。
後日談として、彼はX社の幹部会に出席しながら、こっそり大手Z社の会議にも出席していたとの噂が流れてきました。それが事実なら、筒抜け状態だったはずです。
しかも、自分を高く売るためにX社の資産ともいえる顧客情報を、手土産にしたことが、複数の顧客からの通報で推測できました。
このような事例は特別なことではなく、他業界でも頻繁に起こっていることです。
決して転職が悪いのではなく、その人物の道徳観(モラル)が問題なのです。
したがって人を使う側の“心得”として重要なのは、業務遂行能力が高い社員でも、モラルの低い社員を重要ポストにしてはならないということです。
それは、会社内部に爆弾を抱えることになってしまうからです。
「利にさとい人間」と「徳の高い人間」は、まったく別ものなのです。
「彼は能力は高いが、人格に問題がある!」という評価なら、能力の高いぶんだけ危険人物ともいえるのです。
しかしながら現実問題としては、「高い能力=重要ポスト」が常態化しているのが、普通の会社組織です。
先人の知恵では「能力には報酬で、徳には職位で報いる!」と教えています。
とは言え、「能力」と「人格」の違いを見極めたうえで、「清濁併せ吞む」ほどの知恵と度量のある経営者は、どれほどいるのでしょうか?
数年前に、東北地方のある建設会社X社でおきた出来事です。
当時X社は、建設業から賃貸管理業務へも進出しようとしていた時期でした。
そんなある日、不動産業Y社で働いている一人の役職が、内密でX社へ転職を希望してきました。
そのY社は、賃貸斡旋の老舗であり、X社が習得ようとしている多くを既に持っている不動産会社でした。
X社としては、彼の持っている賃貸業務の知識や経験を魅力に感じたのは言うまでもありません。X社は、賃貸部署の役職という厚遇で迎え入れました。
入社後は、それなりの能力を発揮し賃貸部署の責任者として、幹部会でも皆から意見を求められる立場になりました。
数年が経過した頃、その地方に大手Z社が進出してきました。
地元を唯一の商圏にしているX社としては、大手Z社の進出は脅威でした。
X社としては、何度も幹部会を開き、Z社対策の協議を重ねました。
ところが、不思議なことが起き始めました。
X社の幹部会での決定事項が、数日を経ない内にZ社が認知しているという不可解な現象です。
その謎は、数ヶ月後に解けることになりました。
賃貸部責任者の彼は、X社を突然退職し、そのまま大手Z社へ転職したのです。
後日談として、彼はX社の幹部会に出席しながら、こっそり大手Z社の会議にも出席していたとの噂が流れてきました。それが事実なら、筒抜け状態だったはずです。
しかも、自分を高く売るためにX社の資産ともいえる顧客情報を、手土産にしたことが、複数の顧客からの通報で推測できました。
このような事例は特別なことではなく、他業界でも頻繁に起こっていることことです。
決して転職が悪いのではなく、その人物の道徳観(モラル)が問題なのです。
したがって人を使う側の“心得”として重要なのは、業務遂行能力が高い社員でも、モラルの低い社員を重要ポストにしてはならないということです。
それは、会社内部に爆弾を抱えることになってしまうからです。
「利にさとい人間」と「徳の高い人間」は、まったく別ものなのです。
「彼は能力は高いが、人格に問題がある!」という評価なら、能力の高いぶんだけ危険人物ともいえるのです。
しかしながら現実問題としては、「高い能力=重要ポスト」が常態化しているのが、普通の会社組織です。
先人の知恵では「能力には報酬で、徳には職位で報いる!」と教えています。
とは言え、「能力」と「人格」の違いを見極めたうえで、「清濁併せ吞む」ほどの知恵と度量のある経営者は、どれほどいるのでしょうか?